生きていると嫌なことがあるもの。誰かに何か嫌なことをされたら。。。そんな時あなたならどうする? やり返す? 全然大丈夫だよと言って許す?
ニーチェは代表作「ツァラトゥストラかく語りき」の中で以下のように語っている。
「ツァラトゥストラかく語りき」蝮のかみ傷について
君たちに敵があるなら、その悪に対して善で報いるな。それは敵を恥じさせることになるから。それよりも、敵が諸君に何か良いことをしてくれたのだと、証し立ててみせよ。
敵の悪に対して、善で報いる必要はない。それは敵を恥じさせることになるから。それよりもその悪が何か自分たちにとって良いことだったと相手に証明してみせよ。
恥じさせるよりは、むしろ怒れ。君たちが呪いの言葉をかけられたときに、祝福の言葉を与えようとするのは、わたしは気に入らない。むしろ、少しは呪いの言葉を浴びせよ。
なんとも痛快で豪快な答えだ。何か嫌なことをされたら、怒れ。そして呪いの言葉を言い返せ!
現在、善とされている「何か嫌なことをされても、寛大な心で許すんですよ」とかいう常識を一瞬で吹き飛ばすような回答。
そしてその理由がわたしは気に入らないから。というのがまた痛快だ。
君たちにひとつの大きな不正が加えられたら、すみやかに5つの小さな不正で報いるがいい。ただひとりで不正に苦しめられている者を見るのは、きわめて不快だ。
大きな嫌なことには、5つの嫌なことで報いてもいい! 笑
君たちはすでに知っていたか。相手の不正に対してこちらも不正を行うこと、それは半ば正義だということを。
知らなかった。不正に対して不正を行うことは、むしろ正義だ!
くもりなき目をもった愛であるような正義はどこにあるか。ただ全ての刑罰のみならず、全ての責任を引き受けるような愛を、作り出してくれ。
完全な愛であるような正義は存在しない。なぜなら、私たちはひとりひとり違った価値観を持っているのだから。
世間で言われている、そうあるべきという常識も、あなたの価値観と合っているとは限らない。であれば、守る必要もない。完全に正しい正義など存在しないのだから。
まとめ
もし嫌なことをされたら? に対してのニーチェの回答は豪快でわかりやすい。
ニーチェは全ての人に対して正しい回答を与えることはできないので、せめて自分の考えはこうだということだけは伝えたいというスタンスで語っている。
このニーチェの答えを聞いて、「あ、そんな風に自由に物事を考えてもいいんだよな。」とふっと背中を押されたような気持ちになった人は私だけではないだろう。