哲学書の中でも難しいと言われるカントの「純粋理性批判」を小学生でも理解できるくらいわかりやすく解説しました。
純粋理性批判の中では難しい単語がたくさん出てきますが、ここでは出来るだけ簡単な単語に置き換えて紹介しています。
簡単な単語でも、カント哲学のコアな部分はわかるようになっていますので、これから純粋理性批判を読む方も、読んで挫折した方も、読み終わったあとで考えを整理したい方も、ぜひ参考にしてください。
Contents
3つの大きなテーマ
純粋理性批判では次の3点を大きなテーマとして取り扱っている。
- 「世界そのもの」と「人間が見ている世界」
- 人間はどのように物事を理解するか
- 宇宙の始まり、世界の最小単位、自由、神について
それぞれ一つずつ丁寧に解説していこうと思う。
「世界そのもの」と「人間が見ている世界」
純粋理性批判では世界をこの図にあるように捉えている。つまり、「世界そのもの」というモヤモヤしたものが「人間」というフィルターを通すことで「人間が見ている世界」になるということだ。
結論から言ってしまうと、「人間が見ている世界」と「世界そのもの」は別物だということだ。
え?人間が見ている世界が絶対正しくて、世界そのものでしょって言う人がいるかもしれない。そんな人のために一つ例を紹介しよう。
DVDプレイヤーの例
DVDをDVDプレイヤーに入れて再生している様子を想像してほしい。映っている動画とDVDは同じものだろうか。いや、違う。
DVDをいくら真剣に眺めたって、動画が観れる訳ではない。 DVDは表面に凹凸があるただのディスクだし、それだけでは何の意味もない。
DVDプレイヤーに入れられて、その凹凸が何かの信号に変換されて、初めて動画が映る。DVDプレイヤー(変換するもの)がないと動画は現れない。
それと同じように「世界そのもの」も「人間が見ている世界」と同じではない。人間(変換するもの)がいて初めて「人間が見ている世界」が現れる。
カントは上の文章で出てくる
「世界そのもの」を「物自体」
「人間が見ている世界」を「現象」
と呼んでいるよ。
人間はどのように物事を理解するか
では、人間はどのように「世界そのもの」を変換しているのだろうか。言い換えれば、これは人間はどのように「世界そのもの」を見て理解しているのかということになる。
答えから言うと「感覚」と「考える力」と「まとめる力」を用いて人間は「世界そのもの」を変換している。
感覚とは?
何かを理解するためにはまず、その「何か」 を見て感じなければいけない。その時に使われるのが感覚だ。
感覚とは私たちに備わる5感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)のこと。私たちはこの5感を使って、その「何か」から情報を受け取る。
この時、その「何か」が 空間上・時間上に存在していることが必須の条件となる。なぜなら、私たちは「空間」と「時間」の枠組みの中にないものについて感じることはできないからだ。
例えば、「どの時間上にも、どの空間上にも存在しないリンゴ」を見たり、食べたり、感じたりできるだろうか。いや、絶対にできない!
つまり私たちが物事から情報を受け取る時、空間と時間という仕組みが絶対に必要ということだ。なぜかと言われても、人間がそのようにできているからとしか答えようがない。
空間と時間という枠組みは人間がもともと持っているものと考えることができる。
カントは上の文章で出てくる「感覚」のことを「感性」と呼んでいるよ。
また、空間や時間のような「人間がもともと持っているもの」のことを「アプリオリ」
反対に「人間が経験した後でわかること」を「アポステリオリ」と呼んでいるよ。
考える力とは?
人間の5感が読み取ってきた情報を分析して意味あるものにするのが考える力の役割だ。
ただし、誰もが好きなように自分の情報について考えることができるわけではなく、ここでも感覚の時の空間や時間のように、考える力も従わなくてはならないルールがある。
その中の一つが因果律(原因と結果)だ。人間である以上、因果律のルールを無視して考えることはできない。
例えば、私たちが「床の上で割れている卵」を見たとする。なぜ割れているのか考える時に、「隣にあるテーブルの上から落ちたからだ。」とか「いや、誰かが踏んづけたんだ。」とか何か原因を探すはずだ。
原因(テーブルの上から落ちた)がないとなぜそのような結果(床の上で割れている卵)になっているのか理解できないからだ。
私たちは何か「結果」を見た時に「なぜ? なぜ? 」 と考えることで物事を理解するような仕組みを持っているといえる。
つまり、「因果律」も人間がもともと持っているものと考えることができる。このように人間がもともと持っている考え方のルールってなんだとカントが一つ一つ調べていったところ、12個のルールが見つかった。
ここでは、一つ一つに触れることはしない。人間はそのようなルールに従って考える生き物だとわかってくれればそれでいい。
カントはこの「考える力」のことを「悟性」と呼んでいるよ。
また、「人間がもともと持っている考え方のルール」のことを「カテゴリー」と呼び、12個のカテゴリーを表にまとめているよ。
※参考《12個のカテゴリー一覧》
単一性、数多性、総体性、制限性、否定性、実在性、相互性、因果性、実体性、必然性、存在性、可能性
まとめる力とは?
考える力が集めた情報をまとめて一つの考え方を作るのが「まとめる力」の役割だ。
例えば、私たちが感覚と考える力を使って、そこにある丸い物質が「りんご」だと認識できたとする。
同じように「みかん」や「レモン」も認識した時に、これらは似た性質を持っているので、まとめて「果物」としようと考えるのが「まとめる力」だ。
そしてこの「まとめる力」は中途半端なことを許さない。完全なものを求めて、徹底的にまとめ上げるまで働き続けるという特徴を持っている。
例えば、私たちが「なぜ自分たちがここにいるのか」について考えるとする。
「まとめる力」は考える力が因果律をもとに導き出した答えの中から、関係するものを繋げてまとめていく。
そしてそれは最終ゴールに辿り着くまで続く。(辿り着けるかどうかは別として。)
カントは「まとめる力」のことを「理性」と呼んでいるよ。
3つの力まとめ
人間はこの3つの力を使って「世界そのもの」を変換しているということはわかってもらえた思う。
ここで、じゃあ変換される前の世界ってどうなっているの? と疑問を持つ人がいるかもしれない。
しかし残念ながら、私たちは変換される前の世界(世界そのもの)について知ることはできない。
なぜなら、私たちは変換された後の世界(人間の見ている世界)しか見たり、感じたり、考えたりができないからだ。
宇宙の始まり、世界の最小単位、自由、神について
ここまでで
- 「世界そのもの」と「人間が見ている世界」があること、
- 人間がどのように物事を理解しているか
がわかってもらえたと思う。では、なぜカントはこんなことを考え出したのかというと、次の4つの疑問に答えるためだ。これまでの話はこの4つの疑問に答えるための準備段階だったと言っていい。
その4つとは
(1)宇宙の始まりはあるのか
(2)世界を細かく分割していくと最小単位(原子など)に辿り着くのか
(3)人間に自由意志はあるのか
(4)神は存在するのか
である。ここでは実際にカントがどのようにして(1)の疑問に答えていったか見てみよう。
【宇宙の始まりはあるとした場合】
仮に宇宙の始まりがあるとした場合、「宇宙が始まる前の状態(宇宙がまだ存在しない無の状態)」があったことになる。
しかしこれでは「無」から宇宙が生じた(何の原因もなく宇宙が生じた)ことになり、意味がわからない。
【宇宙の始まりがないとした場合】
では次に宇宙の始まりがないと仮定しよう。始まりがないということは無限の過去があるということになる。
しかし、今この瞬間(現在)があるということは無限の過去が過ぎ去っていなければならない。
無限の過去が過ぎ去るなんてことは意味不明なので、これもおかしい。「無限のご飯を食べ終わる」 なんてことはできっこないのと一緒。
宇宙の始まりがあるとしても、ないとしてもおかしな点が出てきてしまう。
つまり、この問題は「人間が変換した後の世界」では理解できない、「世界そのもの」側にある問題だということになる。
このようにしてカントは「宇宙の始まりがあるかないかの問題は「世界そのもの」側の問題であり、人間の頭ではわからない。」ということを証明した。
同様に(2)〜(4)の問題も「世界そのもの」側の問題であることを証明している。
今でも宇宙に始まりがあるのかとか、神はいるのかと頭を悩ませている人がいたら、カントはこう言うことだろう。
「君の頭でいくら考えてもその問題の答えは見つからない。時間の無駄だよ。」
まとめ
難しいと有名なカントの純粋理性批判をできるだけわかりやすく解説しました。
1.「世界そのもの」と「人間に見えている世界」を分け、
2.人間がどのように思考するかを分析し、
3.それをベースに人間の根本に関わる重要な4つの問題に対しての答えを提示する。
常に万能だと思っていた自分の頭の考え方には実は様々な制限(ルール)があって、考えられることの上限が存在するという、とてもユニークで興味深い説を唱えたカント。
用語はわからなくても、カントが何を言いたかったかが何となくでも伝われば嬉しいです。