ニーチェ哲学

男尊女卑!?ニーチェの女性観をツァラトゥストラかく語りきから紹介

ニーチェは彼の代表作「ツァラトゥストラかく語りき」の老いた女と若い女の章で、自身の女性観について語っています。

少し偏見が強いですが、面白い内容なのでご紹介します。河出文庫の佐々木中訳を参考にしています。

ニーチェの女性観

女については何もかもが謎だ。しかし女の何もかもを解く答えはたった一つだ。それは妊娠だ。

女にとって、男はひとつの手段である。目的はつねに子どもだ。いきなり衝撃的な言葉から始まっています。

女性の目的は常に「子ども」と断言しています。現在の社会からすると相当非難を浴びそうな言葉ですね。

真の男は二つのことを欲する。危険と遊戯だ。だらか男は女を欲する、これ以上なく危険な玩具として。男は戦いのために教育さるべきであり、女は戦士の回復のために教育さるべきである。

「戦い」とは超人(自分の価値観を持って力強く生きている人)を目指すこと。

男性は「戦い」をすることが己を高めていくことであり、女性は「戦士の回復」が己を高めるということになると言っています。

女性は男性のサポートをするのが己を高めることになるということでしょうか。これも男尊女卑な気が。。。

あまりに甘い果実、戦士はこれを好まない。だから女を好む。もっとも甘美な女でも苦味があるから。

「甘い」ことが「戦士の回復」になるが、甘すぎるものを戦士は好まない。どんな女性にも苦味があるとニーチェは捉えています。

そしてその苦さ故に男性は女性を求めると。

女は男よりも子どもをよく理解する。ところが、男は女よりも子どもらしいものだ。真の男のなかには子どもがかくれている。この子どもが遊戯をしたがる。さあ、女たちよ。男のなかにいる子どもを見つけ出すがいい。

子どもという単語は、ニーチェの中で重要な意味を持っています。なぜなら、彼が目指す「超人」は子どもの要素を持っているからです。

子どもは純粋無垢であることから、既存の価値観に影響されず、自身で価値観を作り上げます

この力が超人には不可欠なものだとニーチェは考えています。

よく少年心を持った男性などと言われることがありますが、通じるものがありそうですね。

女が愛するとき、男は恐れるがいい。そのとき、女はあらゆる犠牲を捧げる。そして他のことになんの価値もおかなくなる。

たしかに女性が誰かを愛するとき、男性以上に一途に全てのものを犠牲にして相手を愛している気がします。ニーチェが男性はそれを恐れるがいいと表現しているのが面白いです。

女はどのような者をもっとも憎むか。鉄が磁石にこう言った。「わたしは君をもっとも憎む。君はわたしを引くが、吸いつけてしまうほどに強くないから。」

これもよくありそうです。鉄が女性、磁石が男性と捉えます。女性は男性に惹きつけられます。あらゆる犠牲を捧げて愛そうとします。

しかし、男性の強さが中途半端だとどうでしょう。惹きつけられたはいいが、あらゆる犠牲を捧げてまでは愛せない。

全力で愛したいのに愛せない、かといって無視もできない。女性にとって実にイライラする状態ではないでしょうか。

男の幸福は「われ欲す」だ。女の幸福は「彼は欲す」である。

男性は「自分の欲求が満たされたとき」幸福を感じる。女性は「男性の欲求が満たされたとき」幸福を感じる。

でました。今の時代には声を大にして言ったら怒られそうな内容です。

女は服従し、みずからの面に対してひとつの深みを見いださねばならない。女のこころはひとつの面であって、うごきやすく、荒れやすい、あさい水面だ。だが男のこころは深い。その奔流は目に見えぬ地下をながれている。女はその力を予感する、が、把握することはない。

男尊女卑はまだまだ続きます。女性のこころは動きやすく、荒れやすく、浅い。対して、男性の心は深く、女性に理解されることはない。

僕からするとむしろ女性の心の方が深んじゃないかと思うことが多々あります。次からは老婆の言葉です。

ツァラトゥストラは親切なことをたくさん言ってくれたものだ。とりわけてもそれを聞かせたい、若い女にとって。奇妙なことだ。

ツァラトゥストラはあまり女を知らないのに、それでも女について正しいことを言うとは。

驚くべきことに老婆はこのツァラトゥストラの言葉を女性の褒め言葉として捉えています。時代の問題でしょうか。それとも老婆の皮肉でしょうか。

もっとも、女ということにかかわりあれば、どんなことでも起きるというから。

これはドイツ語の原文から直訳すると、「女にとって不可能な物事はない。」という意味になります。

女のところに行くのか。ならば鞭を忘れるな。

これはこの章最後の老婆の言葉です。老婆がツァラトゥストラに真理を教えるといって伝えた言葉になります。

!? ここで突如、鞭が登場します。SMプレイか何かかと思いドキッとしましたが、おそらく違うでしょう。

この当時、鞭は動物を躾ける際に使われていました。特にライオンなどの猛獣に対して。

老婆はツァラトゥストラに女性はお前が思っているよりも、強くて獰猛だと言いたかったのでしょうか。

上の「女にとって不可能な物事はない。」という発言にも繋がります。

まとめ

以上、「ツァラトゥストラかく語りき」からニーチェの女性観について考えてみました。

ツァラトゥストラに散々、男尊女卑な言葉を発せさせて、最後に老婆の言葉で締めている。

ニーチェの本心なのか、本心の裏返しなのか、興味深いです。

気になる方はぜひ、ご自身で本書を読んでみては

ちなみにニーチェは生涯独身でした。バイセクシャル説もあります。