ニーチェは名言集が発売され、現在日本でも非常に人気の哲学者です。
なぜニーチェの言葉は現代の私たちにこれほどまでに響くのでしょうか。
ニーチェの生涯、時代背景、核となる思想からその謎を解き明かしていきましょう。
ニーチェの生涯
1844年、ニーチェはドイツに生まれます。父も母も牧師というキリスト教色の強い環境で育ちました。
ニーチェは少年時代からその天才さを発揮し、14歳の時、特待生として超名門プフォルタ学院に転校します。
プフォルタ学院はギリシア古典を非常に重要視しており、それがニーチェの基礎を作ります。
ライプツィヒ大学時には「古典文献学」において類稀なる才能を発揮し、26歳という極めて異例の早さでスイスバーゼル大学古典文献学の教授に就任します。
しかし栄光の日々はここで終わり。。。
32歳の時、持病である頭痛と眼痛の悪化で大学教授を辞め、放浪の哲学者として生きていくことになります。しかし彼の著書はなかなか理解されません。
38歳の時にルー・ザロメという美女に恋をし、二度のプロポーズをしますが、いずれも上手くいかず、大失恋をします。
45歳の時に精神を病み発狂、55歳で肺炎で亡くなります。
ニーチェが生きた時代
ニーチェの思想を理解する上で、ニーチェが生きた当時の時代背景を理解することは重要です。
1859年にダーウィンが「種の起源」で進化論を唱えます。
これは今でこそ常識ですが、当時のヨーロッパ社会にとっては非常にインパクトのある出来事でした。
それまではキリスト教が絶対的な力を持っており、人々は世界の全てのものは神の創造物だと本気で信じていました。そこに進化論という新たな考え方が出てきて、人々は戸惑います。
昨日まで常識だったことが常識でなくなる時代。これまで頼ってきたものが信じられなくなり、何を信じて生きていけば良いかわからなくなる時代。
ニーチェはこんな時代の中、人々がこれから先、何を指標にどのように生きていけば良いかを真剣に考え、書き上げたのが「ツァラトゥストラかく語りき」です。
「ツァラトゥストラかく語りき」ってどんな本
「ツァラトゥストラかく語りき」は1883年に発売され、全4部から構成された本です。
ニーチェの代表作であり、彼の思想の集大成とも呼べる作品です。
思想本ですが、理路整然と考えが書いてある訳ではなく、小説のように物語があり、文章も比喩的です。使われている言葉は簡単ですが、意味を理解するのは大変な本の代表と言えるでしょう。
主人公のツァラトゥストラが自分の思想を人々に説きながら、旅をしていく物語で、その説法の内容にニーチェの思想が散りばめられています。
核となる思想
「ツァラトゥストラかく語りき」の中で語られる思想で重要なものとして「神は死んだ」、「ルサンチマン」、「超人」、「永遠回帰」があります。
神は死んだ
「ツァラトゥストラかく語りき」では何度も「神は死んだ」という表現が登場します。
キリスト教が価値観の中心の時代の中、この「神は死んだ」というフレーズは相当な覚悟を持って放たれた言葉です。
ニーチェは牧師の家庭に生まれた為、他の人よりもキリスト教について考える機会が多かったでしょう。
そんなニーチェが神は死んだと宣言したのです。
ダーウィンの進化論が発表され、神はいないかもしれないと考えるようになった人が出てきた時期に、今までのキリスト教の価値観とは違う新しい価値観を示そうというニーチェの姿勢が見て取れます。
ルサンチマン
ニーチェはキリスト教の中にはルサンチマンが潜んでいると言います。
ルサンチマンとは恨み、妬み、嫉妬の感情。
弱い人間が、強い人間に嫉妬し、その不平等をなくそうと作られたのがキリスト教の「善・悪」。
そのようなマイナスの感情から生まれたのがキリスト教だと批判しました。
そのような弱いものにフォーカスを当てる価値観、節制、禁欲を説く価値観では人間は心から楽しむことを忘れ、成長する意欲も忘れ、どんどん小粒になっていくとニーチェは説きます。
超人
そこで登場するキリスト教に変わる新しい価値観が「超人」。
人間は「動物から超人に向かってかかる一本の綱」であるとニーチェは言います。
途中で立ち止まっても危ない、怖がって振り向いても危ない、転落する危険もある。それでも渡りきって、超人にならなければならない。
では実際に超人になるにはどのようなプロセスがあるのでしょうか。
- ラクダ:たくさんの他人の価値観を背負いこみ、その重みに耐えながら歩いている状態。
- 獅子 :自分の意思を持ち、既存の価値観にはっきり「嫌だ」と言える状態。
- 幼子 :自分の心の底から湧き出る創造性で新しい価値観を作り上げる状態。
超人と聞くと、筋肉ムキムキのスーパーマンのような印象を受けますが、目指すべき超人の最終段階は「幼子」。
幼子は既存の価値観に振り回されず、自分の内側から溢れ出す思いに正直に、楽しく、軽快に、素直に生きています。
自分が何が好きで何が嫌いかを理解し、その造り上げた自分の価値観に従って生きていく姿こそ超人だとニーチェは言います。
永遠回帰
「ツァラトゥストラかく語りき」の中で、ニーチェは永遠回帰という考え方を提唱します。
これはこの人生は何度も繰り返されているという考え方。
しかも起きること、起きるタイミングも全く同じだといいます。 これは絶望的な考え方だと感じる人もいると思います。
人生で起こった嫌なことが何度も繰り返されるのですから。
それだけではなく、全て繰り返されるだけだとすれば、全てのことが無意味だと感じる人もいるでしょう。
ドストエフスキーは「死の家の記録」の中で、半日かけて穴を掘って、半日かけてその穴を埋めると意味のない作業を永遠やらされると人間は精神に異常をきたし、発狂して死ぬと語っています。
無意味なことを何度もさせられることは人間にとって一番の拷問なのです。
なぜ、ニーチェがこのような恐ろしい考え方を持ち出してきたのかというと、超人はそれをも打ち破ると証明するためです。
ニーチェの回答はとても単純でそして力強い。
「これが生だったのか。よし、もう一度。」
何度も繰り返される人生だとしたら、何度も繰り返したいと思える人生を送ればいい。
数々の苦労や辛いことがあっても、「もう一度!」と言えるような「素晴らしい今」を見つけようというのがニーチェの私たちに向けた力強いアドバイスです。
現代を生きる私たちとニーチェ
現代の日本に生きる私たちにニーチェの言葉は深く突き刺さります。
それは、ニーチェが生きた時代と同じように、私たちも時代の変換期にいるからです。
日本に生まれた私たちの大多数はキリスト教の神を信じることができません。
かといって、自分の存在意義を証明してくれるものは何もありません。
高度経済成長も終わり、終身雇用の時代も終わりを迎えています。新しい価値観を自分で見つけていかなければいけない時代です。
そんな時代にニーチェの言葉は私たちに大きな勇気を与えてくれます。
既存の価値観や「万人の善、万人の悪」といった常識に縛られる必要はない。自分自身の心の声に耳を傾けながら、自分自身の「善、悪」を見つけて、その自分の価値観に従って生きていいんだよとニーチェは言ってます。
自分自身を肯定し、自分の心の声に従って、思いっきり生きた時、世界は全く違って見えるかもしれません。