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ソクラテスとは
ソクラテスは古代ギリシアの哲学者です。
ソクラテスは世界一有名な哲学者と言われますが、何が彼をそんなに有名にしているのでしょうか。
哲学の祖
ソクラテスは「生きるとは何か」「人間はどのように生きればよいか」といった問題を最初に考え始めた人物だと言われています。
このような問題は倫理学と呼ばれ、現在の哲学でも大きな柱の一つになっている学問です。
ソクラテスの本
ソクラテスは自身の著書を残していません。
それは話し言葉を「生きている言葉」、書き留められた言葉を「死んだ言葉」と考えていたからです。
書き留められた言葉が誤った形で広がっていくのを嫌い、対話こそが知識基盤を作っていく上で一番重要だという信念を持っていました。
しかし、ソクラテスには有名な弟子が多くおり、彼らの著書から、ソクラテスの思想に触れることができます。
- 「ソクラテスの弁明」プラトン著
- 「ソクラテスの想い出」クセノフォン著
- 「雲」アリストファネス著
一番有名なのはプラトンの「ソクラテスの弁明」ですが、それぞれの弟子がそれぞれのソクラテス像を書いており、比べてみるのも面白いかもしれません。
ソクラテスの生涯
紀元前469年頃にアテネに誕生
ソクラテスは紀元前469年頃に彫刻家である父と助産婦をしていた母の間に生まれます。
ペリクレス時代に青年期
ペリクレスが活躍した時代はアテネ民主制の最盛期で、ソクラテスは安定したアテネで青年期を過ごしました。このとき、自然科学なども学んでいます。
ペロポネソス戦争
ソクラテスが40歳のとき、アテネとスパルタの間でペロポネソス戦争が勃発。
ソクラテスも自分で武器を揃えて、重装歩兵として戦いました。50歳になるまでに3度従軍したとされています。
死刑
70歳になろうとする時、ソクラテスは「ギリシアの神を信じず、他の神霊のようなものを信じている。そして若者を堕落させている。」として裁判にかけられ、死刑を求刑されます。そして法に従い、毒杯を飲んで、その生涯を終えます。
ソクラテスの名言
ここではソクラテスの名言をご紹介します。
ソクラテスの言葉を読むことでソクラテスの人となりが感じられるのではないでしょうか。
汝自らを知れ。
よりよく生きる道を探し続けることが、最高の人生を生きることだ。
自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。
唯一の善は知識であり、唯一の悪は無知である。
生きるために食べよ、食べるために生きるな。
世界を動かそうと思ったら、まず自分自身を動かせ。
ソクラテスの思想
ソクラテスの有名な思想に「無知の知」、「知徳合一」、「問答法」があります。
無知の知
無知の知とは「知らないことを知っていると思い込んでいる人よりは、知らないことを自覚している私の方が少しは賢い。」とする考え方。
知らないとわかっている分、知ろうと努力をするし知識を吸収しようとする意欲が湧きます。わかった気になって、現状維持するよりも賢者だといえるでしょう。
では、なぜソクラテスは無知の知を自覚するようになったのでしょう。面白いエピソードがあるのでご紹介します。
アポロンの神託
ある日、弟子のカイレフォンがデルフォイにあるアポロン神殿にて、アポロン神の神託を伺います。神託とは神の預言のことです。
ギリシア人は何か重要な決め事をする時、アポロン神の神託を聞くことが慣行となっていました。
カイレフォンは次のように神に聞きます。
「ソクラテスより知恵のある者が誰かいるか?」 すると 「ソクラテスより知恵のある者は誰もいない。」 と返事がありました。
これを聞いたソクラテスはびっくりします。「そんなことはない。絶対に私より賢い者がいるはずだ。」
そう考えたソクラテスは賢者と評判になっている人のもとを訪れます。
賢者と名高い政治家、詩人、職人のもとを訪れた結果、ソクラテスは神が自分が一番賢いと言った意味を理解します。
たしかに、彼らは自分の得意な分野においては優れた知識を持っていました。
しかし、人間にとって一番大事だと思われる「真・善・美」や「徳(アレテー)」については何も知りません。
知らないくせに、知ったつもりになっていることことを発見します。
ソクラテス自身も「真・善・美」や「徳」といったいわゆる「人間はどのように生きるべきか」という問いに対しての完璧な答えは持っていません。なぜなら神しか答えを知らない問題だから。
しかし、少なくとも「自分は答えを知っているとは思っていない。」そのことだけで、上の賢者よりも少しだけ、自分の方が賢いことを理解します。
これが「無知の知」です。
知徳合一
「徳(アレテー)」という言葉が出てきましたが、意味は「自分自身のあるべき姿を理解し、それに近づくこと」です。
例えば、刀の徳(アレテー)は「よく切れること」です。
ソクラテスは人間が罪を犯すのは、この徳が少ないからだと考えます。
正しい知恵を持っていれば、人は罪を犯さない。
つまり人間にとっての徳は「知恵」だという考えです。これを「知徳合一」と呼びます。
問答法
ソクラテスは自分の考えを人に伝えるため、問答法という方法を用いました。自分の言いたいことを一方的に述べても、相手には上手く伝わりません。
それよりも相手の意見をよく聞き、その矛盾点を指摘しました。そうすることで、相手も話しながら自分自身の考えを整理し、矛盾点に気付くことができます。
ソクラテスの弁明
ソクラテスは問答法を用いて、数々の権力者と議論を交わし、論破していきます。
論破することが目的ではなく、無知であることを理解する人を一人でも多く増やそうという思いからの行動でした。
普段威張っている権力者が次々と論破されていく姿は、若者にとって痛快で、ソクラテスの真似をする若者も現れました。
そんなソクラテスの姿勢は権力者の反感を買い、「ギリシア古来の神を信じず、他の神霊のようなものを信じている。そして若者を堕落させた。」として訴えられ、公開裁判にかけられます。
ソクラテスは自分の意見を堂々と述べ、死刑宣告を受けます。
この時の様子を書いたのが「ソクラテスの弁解」です。
ソクラテスの死生観
死刑宣告後、ソクラテスは自身の死生観を裁判員に向かって語ります。
誰も死を経験して語ったものはいないのに、勝手に死を悪いものだと一方的に考えるのは間違いだ。
もしかしたら死は良いものかもしれない。
死んでいる状態は次の2つのうちのどちらかだ。
- 無のような状態で、死んでいる者は何一つ感覚を持っていない。
- 魂がこの場所から別の場所へ向かう移動や移住である。
1の場合、死は熟睡している時と同じような感覚と言える。熟睡している夜ほど心地よい瞬間は人生においてどれくらいあるだろう。
おそらく数える程度しかないはずだ。
だとしたら、熟睡しているような死はとても得なものだといえる。
2の場合、魂が移動する前に正義を持つものによる本当の裁判があるだろう。
私は正義を貫いて生きた自信があるので、魂の移住先はとても良い場所であることは間違いない。
すでに死んだ過去の偉人たちと議論を交わせる毎日は幸せに決まっている。
つまり善き人には生きていても死んでしまっても、悪しきことは何一つないし、その人のことは、神々によって配慮されないことはない。
以上がソクラテスの死生観です。
ソクラテス死に際の言葉
死刑宣告を受けて、ソクラテスは毒杯を飲んで死にますが、死ぬ前に意味深な言葉を残しています。
「クリトン、我々はアスクレピオスに雄鶏1羽の借りがある。その借りを返しておいてくれ、忘れないようにしてくれ。」
アスクレピオスは人間に治癒をもたらす神です。そのアスクレピオスに雄鶏を1羽捧げるということは実際に治癒が果たされたことを示しています。
何が治癒されたのでしょうか。
その謎は、数世紀に渡って、哲学者の間に議論を巻き起こしています。
今回は代表的な見解2つをご紹介します。
1.生はそれ自体一つの病であり、死はその病の治癒である。
これは哲学史上の伝統的な解釈であり、長い間この説が有力とされてきました。たしかに生を一つの病、死はその治癒と捉えることで、意味は通ります。
しかし、ソクラテスの生前の言葉を見ていくと、生を辛いこと、病と捉えているとは考えられず、ソクラテスの思想と矛盾しているように感じられます。
2.魂が汚れていたことが病であり、それが浄化されたことを示す。
実はソクラテスが毒杯を飲む前、弟子のクリトンが脱走を提案しています。
この言葉がクリトンに向けられていることからも、脱走という正義に反することを考える「病」を持った魂が、浄化され「治癒」したことを示すと考えられます。
まとめ
なぜソクラテス<が偉大な哲学者と言われるかがわかってもらえたと思います。 「生きることは何か」、「人間はどのように生きるべきか」という問題に最初に向き合い、死ぬまでそれを追求し続けた人物です。
「智を愛するもの」として、自分の死がかかった場面でも自分の信念を突き通す生き様は、現代を生きる私たちに様々なことを教えてくれます。